
兵庫県川西市に、中博司(なか・ひろし)さんという人がいる。
手に持っているのは、自分で名前を刻んだ木の棒。屋内でモルックができる「モルックドーム川西」の人で、川西モルックの会の代表で、刻印家で、元公務員で、ハンターで、気球の人でもある。初めて会った人は、たいてい「結局、何をしている人なんですか」と聞く。本人の答えは決まっている。
気楽に。したくないことをしない。
肩の力が抜けている。目標は一度に一つしか持たない。将来の不安は「存在しない」と言い切る。それでいて、モルックを知ってから1年で公式戦の個人戦で全国3位に入り、満願寺がモルックの聖地であることを知って人に広め、町を「モルックのまち」にし、屋内のコートを作り、「マルタ」という木の通貨を広めた。気負わず、気づけば周りを大きく動かしている。中さんは、そういう人だ。
何でもやってきた人
中さんの経歴は、まっすぐな一本道ではない。
高校までは、敷かれたレールの上を進んでいた。大きな選択を自分でした覚えがない。それが変わったのは大学に入った18歳の時だ。初めて「自分でハンドルを握った」感覚があったという。ウィンドサーフィン部に入り、家庭教師や塾、ネットカフェでアルバイトをした。
22歳で大学を2年半休学し、事業を起こす。学生だけが使える教科書の仲介と、大学生向けのクーポンだった。本人いわく「すごく高い竹馬に乗っている感覚」。突き抜けたいけれど、不安もある。そんな時期だった。
25歳からはパラグライダーで空を飛ぶ練習を2年ほど続けた。27歳からは4年間、公務員として働いた。配属は産業観光の部署で、担当はイベントと、なんとハンター。野生の動物を捕らえる仕事だ。
そして2018年、31歳で刻印家として活動を始める。木や道具に文字や絵を刻む仕事だ。同じころ、家庭教師、ドローンカメラマン、ハンターも続けていた。周りからは「起業家」と呼ばれることが多い。
刻む側から、投げる側へ
2019年8月、刻印家の中さんのもとに一つの依頼が届く。「モルック棒に名前を刻んでほしい」。中さんがモルックという競技を知ったのは、この時が初めてだった。
刻む側として出会った木の棒は、すぐに投げる道具になった。翌2020年、中さんはモルックの公式戦の個人戦で全国3位に入る。知ってから1年足らずのことだ。大会「モルワンGP」の主催メンバーにも加わり、競技の外側、大会を作る側にも足を踏み入れた。


中さんの刻印は、2026年もモルックの大会を支えている。優勝チームの名前や大会名を刻んだ刻印棒は、大会の賞品として各地に届いている。
聖地の寺から、「モルックのまち」へ

写真: もんじゃ / Public domain(Wikimedia Commons)
川西市の満願寺は、モルックの聖地だ。それが広く知られるようになった流れの中に、中さんがいる。
2019年、中さんは満願寺で刻印の個展を開いた。それがきっかけで、寺の名誉住職とつながりができ、満願寺がモルックの聖地であることを知る。中さんはそれを周りに広め、聖地であることが町に知られていく。

2020年、満願寺がモルックの全国大会の会場に決まる。中さんはこの話を市内のあちこちに伝えて回り、たくさんの人を巻き込んだ。同じ年、「川西モルックの会」が始まり、モルックドームも動き出す。
中さんは、この流れをこうまとめている。満願寺というモルックの聖地から、「モルックのまち川西」へ範囲が広がった。無関心だった人が、関心を持つようになった。

2024年には、川西市の市制70周年を記念したモルック大会が開かれた。2026年には、川西からモルックの日本代表が出て、市長への報告、祝賀の気球、パレード、合同記者会見まで行われた。その発起人も中さんだった。一つの寺から始まった動きが、市の記念行事と市役所にまで届いた。
60人のメンバーがいる会
2020年に始まった川西モルックの会は、2026年には登録されたメンバーが60人を超えた。月に一度の大会「モルック合戦」は毎月開かれ、日本各地から48人が集まる。毎年1月には、その年の合戦で上位3位に入った人だけが出場できる「モルック合戦ファイナル」がある。2027年1月に開かれる「合戦2026ファイナル」には中国地方からも出場枠が設けられ、川西の一つの大会だった合戦は、それだけの規模になった。初めての人向けの体験会も毎月ある。

看板に並ぶのは、賞品を出している地元の店の名前だ。パン屋、焼き芋屋、菓子店。モルックの大会が、町の店とつながっている。
「犯罪以外は全部OK」のドーム


モルックドームを始めた理由を聞くと、答えは拍子抜けするほど短い。
なんとなく。始めるにあたって、そんなに深い想いはないです。
ところが、ドームの中身は「なんとなく」では片づけられない。
ドームに入ると、お菓子や飲み物が並んでいる。店番はいない。欲しい人は自分でお金を払って、自分で取っていく。ドームが決まりとして掲げているのは「犯罪以外は全部OK」。禁止事項を並べる代わりに、そう言い切っている。人を信じるところから、場所が組み立てられている。
モルックが生まれたフィンランドにも、似たところがある。電車の駅に改札がなく、乗る人が自分で切符を買って乗る。北欧生まれの木の遊びが、人を信じる仕組みのドームに根づいたのは、たまたまではないのかもしれない。
ドームには「ハッピー」もある。毎月の「ハッピーDAY」には、ハッピーを書くと入り口の自販機の飲み物が飲める。書かれたハッピーは「ハッピーボード」に貼られ、色とりどりの紙が壁を埋めている。

ドームでは、初めての人向けの体験会や新人戦から、平日の夜の大会、チームで競う大会まで、定期の大会が毎月並ぶ。平日に通う人も増え、今では一年を通してたくさんの人が訪れる場所になっている。
木の通貨「マルタ」
ドームにはもう一つの顔がある。「マルタ村」だ。村には「マルタ」という木の通貨があり、村の人の間でやりとりされている。

なぜ通貨なのか。中さんの答えは、ここでも短い。
ないほうがおかしいから。
中さんは、日本円とマルタの違いをこう説明する。
日本円は、ないと不安なもの。あったからといって安心ではない。マルタは、あると安心なもの。ないからといって不安ではない。
元になっているのは、物々交換とおすそ分けの経験だ。猟や畑でとれた物を分け合うと、渡した側も受け取った側も満足する。お金を介さないやりとりの気持ちよさを、中さんは身をもって知っていた。
中さんは、マルタを「無価値な木材が、価値あるマルタになる」と表す。誰も気に留めなかった木の切れ端が、人と人をつなぐ価値になる。木に文字を刻んで価値を生んできた刻印家らしい発想でもある。
考えるだけで、終わらない
中さんのすごさは、考えるだけで終わらないところにある。
中さんは、刻印やものづくりの機械をそろえた工房を持っている。大会の賞品や名入れの品は、そこから生まれている。

気球のイベントは、中さんが年に何度も手がけてきたものだ。2026年7月の祝賀の気球も、その一つ。地元の人、寺、市、企業。中さんの周りには、いつも多くのつながりがある。
空から落ちて、今を生きる
中さんの生き方を大きく変えたのは、空から落ちた体験だという。パラグライダーの練習中のことだ。命の危険を感じ、走馬灯も見た。
生き延びたあと、中さんの感覚は変わった。それまでは、将来が無限にあるように感じ、将来のために生きていた。それが「今を生きる」感覚に切り替わった。「死ななければ、生きていける」。そう確信したという。
将来への不安は、存在しないです。今生きていることが幸せ。何か起きたら、その時に対処すればいいし、対処できる。
例えば地震が心配なら、今できるのは非常用のバッグを用意することだけ。あとは起きた時に考える。中さんにとって「最低限これがあれば生きていける」ものは、お金ではない。仲のいい友達との関係を保てるだけの人間性だという。
「良いように、良きように」
中さんがよく口にする言葉がある。「良いように、良きように」。
自分が先頭に立って方向を決めるより、周りがうまくいくように持っていく仕組みを作る。それが得意で、好きなことでもある。寺も、町も、ドームも、マルタも、中さんが一人で引っ張ったというより、関わった人が自然に動きたくなる形を作った結果だ。
コミュニティの中での自分の役割を聞くと、中さんは二つだけ挙げた。
なるべく邪魔やおせっかいをしない。楽しくすごす。
人が集まる場所に必要なのは雰囲気だ、と中さんは言う。無理をしない。楽しむ。やらされていない。自分からやる。やりたいなら、存分にやる。周りはそれを邪魔しない。
大事にしている価値観も、驚くほど身軽だ。「気楽に。したくないことをしない。マイナスを減らす」。充実していると感じるのは「しなくても生きていくうえで困らないことをしている時」だという。
やりたくないことをやって生きる、が分からない
中さんが常々言っていることがある。やりたくないことをやって生きている、というのが分からない。
だから中さんは、やりたいことをやる人が集まる場所を作ってきた。好きなことを、好きな人がする。マルタ村は、その世界を広げていくための村だ。目指しているのは、世界がハッピーであふれた状態だという。
充実した日々を過ごす人を増やしたい理由を聞くと、中さんは満願寺の名誉住職の言葉を挙げた。平和の聖地が、地球には必要だから。
モルックドームに行けば、その村の入り口に立てる。お菓子の代金を自分で払って、好きなだけ棒を投げればいい。
中さんに会える場所
モルックドーム川西(兵庫県川西市)
https://www.molkkydome.com
川西モルックの会
https://kawanishi-molkky.com
文:MOLKKY HUB編集部
- 11/6(金)
モルックナイト
モルックドーム(兵庫県川西市) - 11/7(土)
第1回 ピアしらとり杯 モルック大会(しらとり祭り同時開催)
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磐田モルックトーナメント2026
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