関西の学生モルックを繋いだ男。Mörits・コウの4年間|インタビュー

30人のサークルが、230人になった。肩書きはなかった。ただ、場を作り続けた。

コウ(西岡航)

フィンランド発祥の投擲スポーツ「モルック」が、日本各地で広がりを見せている。北海道から沖縄まで、地域ごとの団体やサークルが大会を主催し、競技人口は年々増え続けている。2026年4月に大阪・舞洲で開催された第4回モルックジャパンオープンには380チーム・約1,450人が集まり、抽選でエントリーから漏れた人もいたほどだ。

関西も他の地域と同様に、独自の進化を見せている。大阪モルックの会が毎月開催しているOSAKA CUP(シングルス大会)にはコンスタントに100名程度の参加者が集まり、各地で団体主催の大会が定期的に行われている。そしてここ数年、それらの大会で大学生プレイヤーたちが上位に顔を出すことが増えてきた。

関西の学生モルック界がここまで成長した背景には、大学の垣根を超えた交流の場を自らの手で作り出した人物がいる。立命館大学モルックサークルMörits出身のコウ(西岡航)。会長ではなかった。公式の肩書きもなかった。ただ、人が集まる場所を作り続けた4年間の話を聞いた。


目次

モルックとの出会い

2022年6月。立命館大学経営学部に入学して間もない頃だった。キャンパスの近くに自宅があり、大学の行き帰りにいつも通る小さな公園があった。そこで何かを投げている人たちがいた。毎日ではないけれど、たまに見かける。何をやっているかはよくわからなかったが、楽しそうだった。

「なんか投げやすそうやなと思って。いつでも入会できますっていうスタンスやったんで、じゃあ入るかと」

Mörits。2個上のれじが創設した立命館大学OICのモルックサークルで、コウは3期生にあたる。LINEグループには30人程度が名を連ねていたが、練習に顔を出すのは片手で数えられる程度。面識のある先輩はさきピー、マサ、よーへーの3人くらいだった。

1回生の頃はモルックにのめり込んでいたわけではない。入学したてで色々なことを楽しんでいた時期だった。後にスマホの写真を見返して、この時期のモルック写真が一枚もないことに気づいた。それくらいの温度感で始まった。


スイッチが入った夏

2023年、2回生。Möritsの仲間8人でフィンランドの世界大会に出場した。もともと北欧に興味があり、「せっかくだから行ってしまおう」という気持ちで決めた。渡航費・滞在費は一人あたり50万円弱。出発前、仲間内で費用を投擲回数で割ったら1投あたり2〜3万円になるという計算をして、「さすがに練習しないとやばい」と全員が真剣に取り組むようになった。

本戦はベスト64で終わったが、前哨戦のウォームアップトーナメント(ペア戦)ではさきピーとペアを組み、128組中8位に入った。帰国翌月の2023年9月にはOSAKA CUPで初優勝。フィンランド世界大会を境に、練習への意識が変わり、結果が出始めた。

「意識しながら練習するようになったら、翌月あたりに結果が出た」

同年の日本大会(鹿児島・桜島開催)では、MONGOOOOSE・ミムさんの仲介でしげちー・ゆーき5さんと3人チームを組んだ。しげちーとは大会初日に初めて顔を合わせたような間柄だったが、トントン拍子で勝ち上がりベスト4に進出。準決勝で敗れた相手の明石モルック倶楽部は、翌年の函館世界大会でチャンピオンになるチームだった。

フィンランド世界大会での経験を経て、OSAKA CUP優勝、日本大会ベスト4。2回生の1年間で、コウのモルックは一気に加速した。個人でもチームでも全国レベルの結果を出せるという手応えをつかんだ。そしてコウの目は、自分の競技成績だけでなく、もっと大きなものに向き始めていた。

大会にて

関西6大学交流会

当時の関西学生モルック界には、大学間の日常的な交流がほとんどなかった。

WAMö(和歌山大学)が実力で頭一つ抜けており、Möritsとは仲が良かったが、Ankka(京都大学)、Teemöns(大手前大学)、大阪産業大学モルック研究室、神大モルックサークルモロッコとの接点はほとんどなかった。日本モルック協会が主催する全日本学生大会は2021年の第1回から年に1度開催されていたが、それは全国規模の公式大会であって、関西の大学生同士が普段から刺激し合える場ではなかった。各サークルは、それぞれの大学の中で完結していた。

2024年3月、2回生の春休み。コウは関西6大学のモルックサークルを集めた交流会を個人で主催した。WAMö、Mörits、Ankka、大阪産業大学モルック研究室、Teemöns、神大モロッコ。大学ごとにチームを組んで対抗戦をやった。参加費なし、景品はコウの自腹。完全な個人主催で、50〜60人が集まった。

この日、それまで交わることのなかった大学同士が初めて同じ場所でモルックをした。WAMöのプレーを間近で見た他大学の学生たちの目の色が変わった。WAMöの側も、他の大学の熱量に触れた。この交流会をきっかけに、大学間の練習試合や合同練習が少しずつ組まれるようになっていった。

「この交流会で手応えを感じて、次のステップに進もうと思った」

コウにとって、この60人の集まりは始まりに過ぎなかった。


学生新人大会

交流会から3ヶ月後の2024年6月、コウは「学生新人大会」を開催した。個人主催、大学生限定のチーム戦だった。

当時、大人が主催する大会は各地で盛り上がっていたが、学生が主催する学生のための大会はまだ根づいていなかった。学生も参加できる大会はあっても、学生だけが主役の大会は違う。コウはそこに目をつけた。

レギュレーションにはこだわりがあった。チームの中に必ず新入生を1人含めること。上級生だけでチームを固めるのではなく、モルックを始めたばかりの1回生が試合を経験し、モルックの楽しさを味わえる場にしたかった。開催時期も、新入生が少しモルックを経験した6月頃——各サークルが「新人に大会を経験させたい」と思うタイミングに合わせた。

48チームが集まった。3ヶ月前の交流会で大学間の繋がりができていたからこそ、これだけの規模が実現した。


学生たちが、結果を出し始めた

6大学交流会と学生新人大会が起こした変化は、学生界隈の内側にとどまらなかった。

大学間の交流が活性化したことで、学生全体のレベルが上がった。各大学のサークルが互いの技術を吸収し合い、合同練習で競い合うようになった結果、大人が主催する大会にも大学生チームが数多く参戦し、上位に食い込むケースが目に見えて増えていった。

OSAKA CUPでも、大学生たちが上位に顔を出すようになった。関西の学生モルックが強くなった背景には、もちろん各サークルの努力、大会主催者たちの受け入れ、モルック自体の競技人口の増加など、多くの要因がある。ただ、大学の垣根を最初に壊した人間がいた。その回路の上を、次の世代の学生たちが走っている。


チームで勝つ

場を作るだけの人ではない。コウ自身がプレイヤーとして結果を残し続けたことも、この話の重要な一面だ。

2024年春、プリンス(大阪産業大学出身)とかずあき(Teemöns)の3人で「3P」というチームを結成した。互いの実力を認め合い、「このメンバーなら勝てる」という共通の確信のもとにチームが成立した。かずあきとはもともと接点がなかったが、チームでの活動を通じて距離が縮まり、今ではモルック界隈で一番仲が良いと言えるまでになった。

川西モルックドームで開催された紫昇杯で準優勝、第10回大阪大会では優勝。2024年秋にはこうきを加えた4人チームで日本大会(福島)に出場し、ベスト4に進出した。

「ちゃんと集まって、ちゃんと練習して、ちゃんと勝てるメンバーで組めば結果が出る。4年間で一番、練習と結果が直結した大会だった」

2025年2月、128チームが参加したMölkky Mania Osaka Vol.4では、Möritsメンバーでのチーム優勝を果たした。個人戦での優勝経験はあったが、Möritsでのチーム優勝はこれが初めてだった。自分が育てた場所の仲間と取った一勝だった。


世界のカワノとの夜

モルック界で最も影響を受けた人物は誰か。迷わず「世界のカワノ」の名前が出た。河野靖信さん。2019年に日本代表としてフランスの世界大会に出場し、2020年のオンライン世界大会では日本人として初めて優勝した、言わずと知れたモルック界の第一人者だ。いまは「世界初のプロモルック選手」として、選手のほか講師や大会づくりも手がけ、YouTube「世界のカワノch」でモルックのハウツーを発信している。

2回生の頃、カワノさんが仕事で京都に来た日があった。公園でモルックをやろうという話になっていたが、カワノさんが終電を逃してしまった。コウは「1人暮らしの部屋でよければ」と声をかけた。カワノさんは来てくれた。

学生の一人暮らし。ベッドは1つしかない。コウは床に寝て、ベッドはカワノさんに譲った。

「あの頃の自分はまだそこまで結果が出ていなくて、カワノさんは憧れの存在だった。お笑い芸人でいうと、自分の家にダウンタウンが来たような感覚で。夜中の2〜3時まで質問攻めしてしまった」

ライバルはいるのか。技術的にはどんな練習をしているのか。普段どんな意識で投げているのか。コウは延々と聞き続け、カワノさんは嫌な顔ひとつせず答えてくれた。

後にコウは、カワノさんを立命館に招いて後輩たちに直接話をしてもらう機会を作った。憧れた人の言葉を、次の世代にも届けたかった。


託す人たち

コウが卒業した後の学生モルック界を担う新星について、話を聞いてみた。

後輩のjp。元吹奏楽部出身で、入会当初は運動経験がほとんどなかった。だが相当な負けず嫌いで、コウに何度も対戦を挑んできた。卒業の時、jpはコウのもとに来て泣きながら言った。

「今の成長があるのは、コウくんのおかげです」

自分が抜けたあと、Möritsのエースになるのはjpだと、コウは言い切った。

次の世代を担う人の名前も挙がった。

さわでぃーかはAnkka(京都大学)の4回生。2025年6月の第3回情熱モルックDREAM CUPではコウと組んで優勝した。選手として優秀であることに加えて、YouTubeチャンネル「Ankka Mölkky さわでぃーか」では「関西学生モルックの素晴らしさを発信する」を目標に掲げ、180本を超える動画を出している。コウは「人としての魅力がめちゃくちゃある」と話す。

こうき(Mörits、3回生)は、2025年7月の第1回TWINS(男子ダブルス・32チーム)で優勝している。勝つことと同じくらい、仲間やMöritsの発展を大切にするタイプで、コウは「自分の役割を全部担ってくれるはず」と話す。

ゆういち(Ankka、3回生)は、Ankkaぶぶ漬け杯などの大会を、企画から運営まで一手に担う。表に出にくい仕事を引き受けて学生の大会を回し続ける、Ankkaの実務の要だ。あさひ(大産大、3回生)は、男女別ダブルスの大会「TWINS」の運営の中心にいる。選手としてもTaku Muroya杯やMölkky Maniaで優勝していて、大会を支えながら自分の結果も出している。

コウが4年かけて耕した土壌の上に、次の世代がすでに立っている。


2026年3月17日

Möritsの後輩たちが、卒業する4回生のために送別会を開いてくれた。仲の良かった後輩たちが泣いていた。それを見て、コウも大学に入って初めて涙をこらえられなかった。

一人ひとりが、コウに言葉を伝えに来た。直接面倒を見た後輩だけではなかった。普段あまり接点のなかった後輩までが、コウの前に来て伝えた。コウさんがMöritsをここまで大きくしてくれたから、自分もこの場所に入れた、と。

交流会をきっかけにモルックを知った人がいた。新人大会で初めて試合をした人がいた。4年間でコウが作ってきた「場」は、本人が思っていた以上に広かった。

翌日、大学生のモルッカーが集まるオープンチャットに、自分の主催した大会に参加してくれたことへのお礼を投稿した。すると、学生だけでなく社会人のモルッカーからも、LINEやDMでメッセージが届いた。うれしさ半分、寂しさ半分。届いた言葉を読みながら、コウは泣いた。

卒業シーズンの1枚

次の場所

学生の大会はもう主催しない。バトンは渡した。ただ、後輩に頼まれればいつでも力を貸す。

モルックは続ける。

「めちゃくちゃ好きなんで」

これからはフリーの立場で、いろんな人と出ていく。Flappingの平日練習にも顔を出す。お〜はしさんの家族チームや、Asuさん・Rioさんのように、家族ぐるみでモルックを楽しんでいる人たちを見て、「ああいうのめちゃくちゃいいな」と思うようになった。3年付き合っている彼女も、いまモルックに誘っている最中だ。

Möritsで30人を230人にした人間は、いつか人が集まる場所を自分で作りたいと考えている。地元・長崎への思いも消えていない。いつか、そこに自分の場所を。

「心地よいコミュニティを、大切にできるモルッカーでいたい」

関西の学生モルックの土台を整えてきた男は、次にどこで花を咲かせるのか。モルックでは、WANDAが中心となって運営する関西のチーム戦大会「ゼロイチ」の運営メンバーに加わっている。毎回すぐに枠が埋まる大会だ。モルックのコートで、コウの場づくりはまだ続いていく。

コウ(西岡航)

インタビュー・文:MOLKKY HUB編集部
写真提供:西岡航

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この記事を書いた人

モルック情報サイト「モルハブ」を運営。
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